83歳筆者が「敬老の日」に考える...若い人に知ってほしい、老いるということのリアル (4/7ページ)
従って、杖をつくか、階段などで手すりを利用することによって可成り改善できる。
それはヒトも矢張り、昔は4足歩行であったことを証明しているのであろうし、先祖返りのつもりで実行してみると、これは可成り効果がある。もし、あなたが山登りをするような方だったら、杖を利用して登山した経験から筆者の申していることを容易に納得されるであろう。
取り敢えず、この程度の老化なら、杖を利用するだけでも可成りの範囲をカバー出来る。しかしながら、この場合、以前とは異なり、常に手で杖を保持しなければならないから、それに加えて、物を保持したりする場合の工夫が必要となって来る。
この問題を解決するために、既に、老人に限らず、多くの人が外出する際に必要なものを纏めて背中に背負って歩く、というやり方をしている。これは老人にとっては、単に「楽だから」ということではない。常時、杖で手が塞がっているのだから、いわば必然的な対応と言っていいくらいのものだ。
老人が、なるべく、それ以前通りにしていたければ、そこには、いつでも「工夫と努力」が必要となる。だから、怠け者や億劫がりでは無理だ。ここいら辺りが、分かれ道に違いない、「歳に似合わない老人と年齢相応の年寄りとの」。そのどちらを取るのかは、結局、その人次第だ。
つまり、どちらが良いとか、悪いとか、そういう問題では無く、「残された今後の人生を、自分はどうやって過ごすか?」もっと端的に言えば、「どちらが好きか?嫌いか?」の問題だ。
また、この段階より一段と深刻な事態となれば、車椅子の利用でも対応できよう。要は、置かれた状態に応じて柔軟に対応する考えを有してさえいれば、行き詰まるということは、余り無いだろう。
身体的努力も含め、頭もそれなりに使い、どうやって自分の「老い」をカバーして行くのか?それは偏に、その高齢者の問題であるが、また、誰でもが避けることの出来ぬ「老い」というものに対する、或る種の己の「覚悟」とも言える。