83歳筆者が「敬老の日」に考える...若い人に知ってほしい、老いるということのリアル (6/7ページ)
会話の中で、咄嗟に出て来なくても、後(極端な場合は、その夜とか、翌朝になって)から、殆どの場合、筆者は、正解に達することが多い。これは大体、現在の状態であって、70歳代では、もっと早く、会話中でも、多少のタイムラグはあっても、案外思い出すのは容易であった。格別、自慢するつもりは無いが、多くの場合、60歳代や60歳間近の人より早めに思い出すことが出来ていたように思う(尤も、もし、この筆者の記憶自体が当てにならない?とすれば、それはまた、「何をか況(いわ)んや!」ということになるが...。
頭脳活動を伴うタスクに関する最も深刻な事態、と筆者が感じているのは、いわゆるマルチタスク遂行能力の減退である。もっと分かり易く言うと、出来れば、早めにやってしまった方が良い、幾つかの懸案があった場合、高齢になるまでは、仕事が一匹狼スタイルだった故もあり、一人で何でもこなねばならず、勢い、複数のタスクを平行して進め、そんなに苦労もせずに達成出来ていたのが、今では到底すんなりと出来なくなってしまった。
処理速度の低下は無論のこと、たとえ頭の中で手順を考えていても、なかなかそれを実行に移せない。結局、身体と共に精神的能力も衰退して来ると、決断力が鈍り、更に実行力も乏しくなり、マルチなタスクを一気呵成にやり遂げることなど殆ど不可能となる、残念ながら...。
高齢者が、こうした「老い」から派生する困難を解決しようとすれば、先ず、それまでの現役時代とは、やり方を変える必要がある。
人は結局、何時でも、その人に見合った能力を見極めながら、その能力を最大限に発揮できるような工夫をし、またそれを実現するための努力を惜しまないということに尽きるわけだが、特に高齢者の場合は、「老い」という更なるハンディキャップを乗り越えて行くためには、身に合った更なる努力と一段の工夫とを必然的に求められることになろう。
ここで、一言申し上げるが、これは高齢者からのお節介なメッセージとして聞き流して頂いても一向に構わない。