83歳筆者が「敬老の日」に考える...若い人に知ってほしい、老いるということのリアル (3/7ページ)
そうこうしている内に、直ぐに、更に深刻な事態が生ずる。
これから述べることが、或る意味では人間にとって最も深刻な問題となる。それは、赤ちゃんが、(多分)満1歳前後になると、伝い歩きをしたり、尻餅をついたりしながらよちよち歩きし始め、親は無論、家族や周りの人達から、大いなる祝福を受けることになる歩行、いわゆるヒトの2足歩行が開始され、それが当たり前のように継続されるわけだが、この歩行について、「老い」が原因で、意図せぬ異変が発生するという問題だ。
この「2足歩行」は、ヒト独自の基本的な移動行為と言えようが、それこそ幼児から成人まで、誰でもが殆ど無意識の内に、極当たり前のこととしてこなしているわけだが、こんな簡単な動作ですら高齢者になると、いつの間にか、様相が変って来る。
筆者もそうだったから、恐らく年下の方々には実感としては理解不能だと思われるのだが、単純に「歩く」ということが、非常な努力をしなければ、本当に出来なくなってしまうのだ。
このことは、初めてそれを体感した高齢者にとっては、年下の方々が容易に想像出来ないほどのショックを与えるものだ。人(高齢者)によっては、それが引き金となって家に閉じこもってしまうケースだって、決して少なく無いはずだ(いわゆるロコモティヴ・シンドローム?に陥る)。
一方で、逆に筆者のように、何処へでも出掛けることの大好き人間にとっては、これはまた別な形で深刻な問題となる。つまり、そんなこと(「歩く」というような基本的動作)は、これまで全く特別に考慮したり、意識したりすることなく、外出する際などは、ただ単純に計画を立て、後は楽しく実行すれば足りた。
しかし、老いると、そうは行かなくなる。どうしても必要な「歩行の範囲」を、現在の身体能力で、どうやってクリアするか?という余計で、困難な問題が更に一つ加わるからだ。
まあ、一番容易な解決手段は杖を使う、ということだろう。これは若い人達が想像する以上に効果がある。つまり、ヒトは長い間2足歩行を続けて来たが、これが若いときには何の問題ももたらさないのに、老いるとそうは行かなくなる。
一方で、ヒトの握力や手による保持力というのは馬鹿にならない。いざという時に、これを活用するのは、可成り有効だ。