83歳筆者が「敬老の日」に考える...若い人に知ってほしい、老いるということのリアル (1/7ページ)
画像はイメージです(Alessandro Luciaさん撮影、Flickrより)
9月19日は敬老の日だった。これを機に、83歳のぶらいおんさんは改めて自らの「老い」について考えたという。
「歩く」ということがまず「努力を要する」作業となり、今までは容易にできたマルチタスク作業が難しくなる――ぶらいおんさんが語るリアルな「老い」の実態は、若い読者にとっても、将来をシミュレートし、周囲の年長者に対して想像力を働かす、良いきっかけになるはずだ。
80歳を超えてはじめて実感した「老い」自分が現役で、同居の母が老人だった頃には、「敬老の日」に、ちょっとしたご馳走をしたり、何か母の気に入りそうな物をプレゼントしたりしていた、と記憶する。
一方、自分が高齢者(老人)になってみると、「敬老の日」とは一体、何なのかな?と考えたりする。
自分としては、祭日だからと言って、"思い出したように"、改めて「敬って貰おう」という気もサラサラ無いが、誰かが「年下」の者に対する場合とはちょっと違って、自然に私を「年長者」として立ててくれることには無論、悪い気はしない。そういうのがどちらかと言えば、むしろ常識というものでは無いだろうか。