83歳筆者が考える「近頃の若いものは」論...かつての「太陽族」も今や (3/8ページ)
「アプレ」、「戦後派」、当時の絶対権力者、米国人の、大仰な身振りをまねて、発する「オーミステーク!」のセリフこそ、敗戦直後の、些か暴走気味の新人類の若者像として、多くの年配者から「近頃の若いもの」の代表として標的にされたのも、また「宜(むべ)なるかな」といったところか。
次は、更に下った時代の、「近頃の若いもの」として社会に、ちょっとした小波を立てた事例について、述べてみよう。
それは、小説『太陽の季節』(作者:石原慎太郎)にまつわる話である。この短編小説は、ウィキペディアによれば、昭和30年(1955年)、文芸雑誌『文學界』7月号に掲載され、第1回(1955年度)文學界新人賞を受賞。翌年昭和31年(1956年)1月23日には、第34回(1955年下半期)芥川賞を受賞した作品である。
芥川賞の受賞に関しては、賛否両論が賑やかだったようだ。ウィキペディアが、編集した文學界新人賞・芥川賞の選評には、こうある。
<『太陽の季節』は受賞作にはなったものの、選考委員の評価は必ずしも高いとは言えず、反倫理的な内容についても評価が分かれた。作品にみなぎる若々しい情熱が評価され激賞される一方で、同時に賛成派からも、文章の稚拙さや誤字があるなど多くの欠点が指摘されている。>選評の具体例を二、三挙げてみると、佐藤春夫は、「反倫理的なのは必ずも排撃はしないが、こういう風俗小説一般を文芸として最も低級なものと見ている上、この作者の鋭敏げな時代感覚もジャ(ー)*ナリストや興行者の域を出ず、決して文学者のものではないと思ったし、またこの作品から作者の美的節度の欠如を見て最も嫌悪を禁じ得なかった」とし、「これでもかこれでもかと厚かましく押しつけ説き立てる作者の態度を卑しいと思ったものである。そうして僕は芸術にあっては巧拙よりも作品の品格の高下を重大視している。僕にとって何の取柄もない『太陽の季節』を人々が当選させるという多数決に対して、僕にはそれに反対する多くの理由はあってもこれを阻止する権限も能力もない」とした上、更に、「(前略)...僕は選者でもこの当選には連帯責任は負わないよと念を押し宣言して置いた」と述べている。