83歳筆者が考える「近頃の若いものは」論...かつての「太陽族」も今や (1/8ページ)
映画版「太陽の季節」ポスター
「近頃の若いものは」――この言葉はかなり古くからあるようで、柳田國男は古代エジプト時代から、こうした年長者の愚痴が残されてきた、と紹介している(ただし真偽は不明らしい)。
もちろん、そうぼやく先輩方も、さらにその上の世代からこの言葉を浴びせられてきたわけである。昭和8年(1933年)生まれ、83歳のぶらいおんさんに、このあたりを尋ねてみた。
「若いもの」より恐ろしい「老醜」年配者が、したり顔や、顰め面をしながら、「近頃の若いものは...」と口にするのは、確認したわけでは無いが、恐らく、それは人類が言葉を自由に操る時代になって以来、延々と繰り返されて来た繰り言の一つではあるまいか。
無論、斯く申す83歳の筆者もまた同様に、はっきり面と向かって年配者から、厳しく申し渡された記憶こそ思い当たらぬが、それと変わりの無い目で見られ、批判されたことは当然、有ったと考えられる。
それで、ここでは、そんな曖昧な記憶を辿るのでは無くて、筆者が生きて来た時代の中で、そんな、つまり「近頃の若いものは...」のセリフを代表するような、それも当時のマスコミなどに大々的に取り上げた事例を二、三挙げて示しながら、私見を述べてみよう。
昭和20年(1945年)の敗戦以来、日本の社会状況は、少なくとも表面上は大きく変化した。それまでの重苦しく押さえつけられた上、只管、当時の日本のリーダー達が声高に唱えた「聖戦(今で言えば、ジハードか)の完遂」のため、物資の欠乏から精神の自由まで、あらゆるものに対する欲望や希望が制限され、ただ抑圧と我慢だけを強いられて来た状況の箍(たが)が一挙に外れた。
その結果、無秩序とも思える、行き過ぎた道義心の低下、当時の最高権力を有する占領軍に対する追従などから派生する、新聞の社会面を賑わせるような事件が次々と起こった。
中でも、当時、人々の注意を大いに引いた事件であり、筆者(当時、旧制中学校1年生だったから、「近頃の若いものは...」と言われるような年齢にも達していなかったが)の記憶にも鮮明であった、日大ギャング事件(1950年9月22日)について、触れてみよう。
当時のことを思い出すと、直ぐに浮かんでくる言葉がある。