小池百合子 逆境ハネ返し「突破の女王」!!(2)戦火の中で危機管理を意識 (1/2ページ)
小池は、夫と2人で顔を見合わせ、どうすればいいのか途方に暮れていた。
アパートの上の階に住んでいる大家が、部屋に飛びこんできて、一気にまくしたてた。
「電気を消しなさい。水を早く貯めなさい。それから、窓を補強しなさい」
小池は、夫とともに、電気を消し、家にある器という器に水を張った。さらに、言われるままに窓際にあったベッドを壁のほうに移した。窓ガラスという窓ガラスに、青い絵の具を塗りたくった。なるべく外に光が漏れないようにするためである。乾いたのを見計らって、切手のように舐めれば貼ることのできる紙テープを蜂の巣状に張って、窓を補強した。
市民の被害は、敵方の爆撃を直接受けるだけではない。味方が高射砲を放った時の振動でガラスが割れ、けがをしたり、死亡することもある。エジプトの人たちは、日本が敗戦以降平和な日々を過ごしていた28年もの間に経験した3回の戦争で、そのことを熟知していた。
小池らはそれらの準備を終え、近くのスーパーマーケットに急いだ。食糧調達のためである。
ところが、スーパーマーケットに行ってあぜんとした。食糧という食糧は全て売り尽くされ、棚には何もなかった。売っているのは、長靴とタワシだけだった。
2人は、帰り路にバラハという棗椰子の一種を売っている屋台を見つけた。棗椰子は、渋柿のような形で、1キログラムで10粒くらい。それだけ食べれば1日のカロリーがほぼ賄えるので、しこたま買いこんだ。
何とか食糧を手に入れたものの、家に帰る2人の足取りは重かった。
エジプトの人たちにとって、戦争は日常そのものだった。その時が訪れれば、頭で考えなくても運動神経のように身体がすぐに戦時体制に移っている。ところが、自分たちはどうか。
小池は思い知らされた。
〈戦争も知らず、いざという時に動けなくては、世界で生き抜いていけない〉
自分だけではない。それは、アメリカの傘の下でぬくぬくとしている平和漬けの日本人全てに言えることではないか。
その経験が、後に小池をキャスターとして、政治家として、突き動かす1つの原動力となっていく‥‥。