消失する日本の往来――「消滅可能性都市」の現在/十津川村(第1回) (2/8ページ)

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急勾配の山々が連なり、その屹立した山と山との隙間を深い谷がつづら折りに果てしなく続く。山と谷。その相剋が織りなす斜面がわずかに緩やかになった場所に、猫の額ほど平地が存在する。そこが十津川の集落である。この集落がいくつも集まり、恐ろしく広大な村を形成している。


玉置山山頂付近から十津川の山並みを眺める。

言い伝えによれば、神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと)、のちの神武天皇が東征した折、熊野を抜けて休息のため立ち寄ったのが、ここ十津川村だという。その場所が現存する。村の南東部に位置する、世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成資産、大峯奥駈道の一部である玉置山がそれだ。

玉置山の標高は1076メートル。山頂付近にあとで述べる玉置神社がある。その社殿から30メートルほど急勾配の坂を登ると、3本の杉の巨木が柵で囲まれた一画に出る。柵の中は白い玉砂利で敷き詰められていて、そこに少しだけ地表に顔を出したまるい石が確認できる。「玉石社」という。実はこれがご神体で、玉置の名はこれに由来する。先ほどの神武天皇が兵を休めたのはここであったという説がある。

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古代信仰の様式が残る玉石社。吉野の修験者は、玉置神社本殿に先んじてこの玉石社を参拝したそうだ。ご神体のまるい石の地下に埋もれた部分は、測ることができないくらい大きいのだと言われている。
古代信仰の様式が残る玉石社。吉野の修験者は、玉置神社本殿に先んじてこの玉石社を参拝したそうだ。ご神体のまるい石の地下に埋もれた部分は、測ることができないくらい大きいのだと言われている。

その玉置神社について記そう。

神仏習合であったころ、玉置神社は玉置三所権現と呼ばれていた。

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