消失する日本の往来――「消滅可能性都市」の現在/十津川村(第1回) (5/8ページ)

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村の総面積は672.38平方キロメール、東京の23区を合わせた面積よりも広い。日本最大の広さを有する村でもある。が、その面積のほとんどを占めるのは紀伊山地の険しい山々であり、故に耕地面積は総面積の0.2パーセントに過ぎない。反対に林野のそれは95.9%。司馬遼太郎が「大山塊」と形容したのも頷ける。
村は55の集落からなり、2017年1月1日現在、1841世帯3488人が暮らしている(十津川村のホームページより)。そして、日本の多くの田舎同様、いやそれ以上に高齢者の割合は高く、多くの集落が限界集落となっている。村内には風屋、二津野の2つのダムがあるが、これらのダムの建設が始まった1960年頃には村外から多くの建設作業員が押し寄せ、人口が1万5000人を超えていた時期もある。
村の主たる産業は、林業、農業のほか、源泉掛け流しの温泉が湧くことから観光業も盛んで、20軒以上の温泉旅館、民宿が点在する。
かつては、55の字にすべて小学校があった。近年は統合が進み、今年度末でさらに3校が統合するという。中学校と高校が一校ずつ。高校は、奈良県最古の高校である十津川高校で、1864年、孝明天皇の勅許によって創設された(創設当時は文武館という呼称だった)輝かしい歴史を持つ。

十津川村ウェブサイトより
十津川高校(十津川村ウェブサイトより

どうでもいいことだが、村に信号機は3機、そのうち2機は押しボタン式なので、交差点の信号機は村役場前の1機だけだという。

数字だけを見れば、どこの地方にもある寒村のひとつでしかない。しかしながら、十津川が担ってきた歴史は、そんなプロフィールからは想像もつかない物語性に満ちている。

十津川というナラティブ

十津川の人々が日本史に初めて登場したのは、7世紀、壬申の乱のときだった。

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