人が動く! 人を動かす! 「田中角栄」侠(おとこ)の処世 最終回 (1/2ページ)

週刊実話

 平成5年12月16日、田中角栄元首相は丸42年の政治家生活にピリオド、75年の人生の幕を閉じた。それから今日まで四半世紀、24年の歳月が流れているが、「政治家・田中角栄」に対する評価は毀誉褒貶相半ばして定まるところを知らない。
 逆に言えば、それだけケタはずれのスケールを持った傑出した政治家だったということになる。改めて振り返ると、その「功罪」は何だったのか。

 最大の「功」は、戦後、日本保守政治の主導権を官僚から政治家、あるいは政党に取り戻したことにある。田中以前の自民党は、いずれも官僚出身の岸信介、池田勇人、佐藤栄作を首相とし、政治は官僚主導のもとにあった。「政治は国民の生活のためにある」。そんな気概で自民党に飛び込んだ田中は戦後の荒廃からの脱却のため、国民のために議員立法の成立に情熱を注ぎ込んだものだ。
 議員立法は、法律の立案から国会答弁まですべて議員個人がするもので、よほどの能力がなくては法案の成立まで持って行けない。対して、内閣立法があるが、これは政府の指示で官僚が立案する。官僚主導政治のゆえんだ。
 田中は「都会と地方の格差をなくす」のスローガンのもと、鉄道、道路、橋、住宅など戦後の社会基盤立て直し整備に、実に33本のこうした議員立法を自ら成立させた。こんな戦後の政治家は田中をおいて一人としていないのである。田中という政治家を得なかったら、わが国の今の発展はどれだけ遅れていたかの思いがあるということでもある。

 対して、「罪」すなわち「負」の遺産は、やはりその政治手法にあったと言える。田中は世評の一部にあった単なる金権政治家ではなかったが、自民党を掌握し、キングメーカーであり続けるために「数の力」に頼った。それが、一方で利益誘導型政治につながり、ひいては“集金能力”の増殖に結び付いていた。伴って、公共事業の拡大は財政の逼迫も招いたということだった。
 しかし、政治家の実績とは、「功罪」のプラス・マイナスでしか挙げられない。それは読者諸賢の判断であり、なお、田中のマイナス面への指摘は、今の、あるいはこれからの政治家の「他山の石」とすべきであることは言うまでもない。

 一方で、今「田中という政治家再び」という待望論もあるようだ。

「人が動く! 人を動かす! 「田中角栄」侠(おとこ)の処世 最終回」のページです。デイリーニュースオンラインは、社会などの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る