埼玉・愛犬家殺人事件「死刑判決」風間博子の獄中書簡を独占公開!(4)風間の不貞行為を知り供述が一変 (1/2ページ)
83年に結婚した2人だが、風間は関根によるドメスティックバイオレンスに苦しめられていた。風間の連れ子に対しては、何も着せずに玄関のコンクリートに正座させ、膝の上にブロックを3つも4つも載せるなどの虐待も行っていた。
さらには、関根は3人もの女性と不純な関係を繰り返していた。関根に対する愛情は冷め果て、ただ恐怖から別れを切り出せない状態だった風間。92年頃から、風間は仕事で知り合った男性と交際を始めるようになっていた。
そのやさきの92年12月、2人が経営するペットショップ「アフリカケンネル」に税務調査が入る。この件を契機に、弁護士からのアドバイスで、不動産名義を風間に移すために、2人は偽装離婚。
だが、風間の本音は別にあった。風間は、課税を逃れる偽装離婚だと関根に信じさせ、年が明けた1月、ようやく離婚届を提出。籍を抜くことにこぎつけたばかりか、実際に別居が実現し、自由な生活を謳歌することに成功する。
それまで関根は風間に対して、財産目当ての結婚だと言ってはばからなかった。だが別居後、「離婚してこのままだと、自分の手元には残るものがない」という不安を、関根は知人に漏らすことがあった。
この時点で、風間との離婚は単なる偽装離婚ではなく、事実上の“破局”を意味していたことに、気づき始めたのだ。そこで関根は一計を案じ、共犯という軛(くびき)でつなぎ止めるために、犯行に巻き込んだという見方が成り立つ。事実、それ以降、風間は関根の支配下に戻り、やがては同居にまで戻ってしまったのだ。
実は、風間の主犯説を唱えているのは、他ならぬ関根である。起訴の骨格をなす供述をしたのは中岡だが、風間が殺人の共犯であると供述したのも関根だった。
逮捕された当初、「被害者は4人とも自分が毒を飲ませて殺害した」と関根は供述していた。それが、「風間が殺害に関わっている」「自分が殺害を言いだしたことを風間が黙認した」などと変遷し、95年1月26日の取り調べでは、殺害を言いだしたのは風間であるとの供述に至ったのだ。
関根の供述の変化の“決め球”として取調官が突きつけたのは、風間に別の男性がいるという、関根の知らなかった事実だった。