笹川能孝「友達は裏切るけど、孤独は裏切らない」 (1/2ページ)
自分が生まれた家が、他の家と違うということに、気がついたのは小学生の頃だったと思います。同級生が、流行りのテレビ番組の話で盛りあがっていたんですが、私の家では、そういう流行りの番組は一切、流れていなかった。テレビから流れていたのは、『ゴッドファザー』とか。私の父、つまり笹川良一の甥、彼の言うことは、我が家では絶対でしたから。5、6歳の時には父の隣で黙って一緒に観ていましたね。もちろん、話の内容は理解できなかったと思うんですが、映画から伝わる空気だけはなんとなく分かる。そういうものが、無意識に刷り込まれたんでしょうね。
■高倉健や菅原文太、松方弘樹の映画を観ていた
小学3、4年生ぐらいの時には、親に黙って田岡一雄三代目の自伝を読んでいました。ほかにも、高倉健さん、菅原文太さん、松方弘樹さんとかが好きで、任俠映画もよく観ていましたね。それでも、やっぱり小学生ですから、当時ブームになっていたヨーヨーを父にねだったこともあります。でも、その時に“みんながやっているからという理由でやる。そんな人間には決してなるな”と叱られました。
■世間が騒いでいる時には寝ていろ
父からの教えは、“世間が働いていない時に働いて、世間が騒いでいる時には寝ていろ”と。だから、我々はバブルの時代は、無傷なんですよ。その教えのおかげで周囲の価値観や、既存の価値観に、まず疑問を持つ。このクセがつきました。論語に『和して同ぜず』という言葉があって、調和を重んじることと、なんでも右にならえすることとは、違うという意味なんです。
そのぶん、孤独ですけどね。周囲の人たちからも“しんどくないですか?”とよく聞かれます。でも、孤独を遠ざけるべき存在だと考えるから、そう思うだけで、父はよくこう言っていたんです。“孤独を友達にしろ”と。友達は裏切るけど、孤独は裏切りませんからね(笑)。
■笹川という看板を疎ましく思った時期も
若い頃は、笹川という看板を疎ましく思った時期もありました。市長や偉い人に会っても彼らは私を見ているわけではなく、私の背後を見ているのが分かる。「じゃあ、俺はなんなんだ」と思っていた時期もありました。ただ、大人になっていく中で、血は血として認めなきゃいけないと思うようになりました。