先立った母親が幽霊となって現れ、子育てをする「子育て幽霊」のあれこれ (2/7ページ)

心に残る家族葬



■日本国内に数多く残る「子育て幽霊」の話


民俗学者の関敬吾(1978)によると、妊婦が死んで葬られ、子どものために甘いものや食物を買って育てる、そしてそれが後々幽霊だと周囲の者に知られ、墓を掘り起こしたところ、子どもが生きていたことがわかるという「子育て幽霊」の話は、北は岩手県から、南は鹿児島県の喜界ヶ島(きかいがしま)まで分布し、40例ほどあると言われている。

例えば、福岡県の鍛冶町(かじまち。現・福岡市天神)にある曹洞宗の寺院・安国寺(あんこくじ)に伝わる、「飴買い幽霊」という話がある。江戸初期、1679(延宝7)年のこと。飴屋に毎夜、3文持って飴を買いにくる女がいた。怪しんだ飴屋の主人が女の後をつけると、安国寺の墓の中に消える。墓の中から赤ん坊の泣き声がする。主人と寺の僧侶とで墓を掘ると、女の赤ん坊がいた…。

現在、安国寺には、飴を買いに来た女と、発見後、程なく亡くなったという赤ん坊のものとされる小さな墓とが2基残っている。大きな墓には「岩松院殿禅室妙悦大姉」と、小さな墓には「童女」と刻まれている。

■子育て幽霊の起源は?

こうした話の祖型となったのが、兵庫県小野市に伝わる、南北朝時代の禅僧・通幻寂霊(つうげんじゃくれい、1322〜1391)の出生譚だと考えられている。

通幻の父母には子どもがなかった。清水(きよみず)観音に祈って、通幻を身ごもったが、母は出産前に亡くなってしまった。その後、付近で見慣れない女が深夜に雨を買いに来るようになった。飴屋の主人が怪しんで、女の後をつけたところ、先日葬ったばかりの新しい墓の中に、女が消えてしまった。主人が呆然としていると、どこからともなく赤ん坊の泣き声が聞こえてくる。翌朝、再び墓を訪れた主人が、他の人とともに墓を暴くと、葬ってからしばらくたつというのに、死人の顔色はまるで生きた人のようだった。死人の膝の上には、丸々と太った赤子が眠っていた。主人たちは母の菩提を弔うために、子どもを育て、僧侶になした。
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