先立った母親が幽霊となって現れ、子育てをする「子育て幽霊」のあれこれ (3/7ページ)

心に残る家族葬

この子は後に通幻という名僧になったという。

■死者が幽霊となって出現するという構成の理由

日本文学・思想の研究者、安永寿延(2001)は幽霊出現の意味と構造について、以下のように述べている。生者は生きることばかりではなく、死ぬこともできる存在である。しかし一生を「飾る」ことができなかった生者は、「死」で「生」を飾ることができない。それが、「死んでも死に切れない」ということだ。宗教は葬送儀礼を、人が「第2の生」を生きるための通過儀礼とみなし、「第1の生」の不遇と「第2の生」の豊かさとが交換可能であると説いてきた。死者が自分自身の死の意味を解読し、了解可能として受け入れたとき、死者は初めて死の世界を獲得し、そこに安息を見出すのだ。だが、死者が自らの死に対して拒否反応を示し続けるとき、死者は生きることも死ぬこともできず、生と死の境界をいつまでも彷徨い続けることになる。そして幽霊そのものは過去の存在であるにもかかわらず、常に現在に這い上がろうとしているのだ。しかも幽霊にとっての「過去」とは、生者が持ちうる、美しく、憧憬をもって振り返るものではなく、黒く醜く、嫌悪感に満ちたものなのだ。こうしたことから、幽霊は、「現在」や「未来」はもちろんのこと、「過去」からさえも、疎外された存在なのだ。

従って、こうした意味や構造を持つ幽霊の出現とは、生者によって死せる者が忘れられてしまったことに対しての、死者の側からの懸命の抗議である。それと同時に、過去を美しいヴェールで覆い隠してしまいがちな生者への反撃でもあった。さらには、生者による、死者への無意識、無自覚な形で踏みつけたり、傷つけたりするなどの、何らかの「加害者性」によって幽霊が生き延び得ていることを生者に悟らせ、生者の持つ「罪」を自覚させるものでもあるという。

■子育て幽霊の場合は?

「子育て幽霊」の出現は、安永の定義には完全に当てはまらない。

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