先立った母親が幽霊となって現れ、子育てをする「子育て幽霊」のあれこれ (4/7ページ)
生者に露見しない限り、現在進行形で継続するつもりであると思しき、母親としてのアイデンティティ、そして毎日「子どもを育てる」という、ある意味「未来志向」の行動は、現在に立ち現れては来るものの、死者が自身のために希求すべきとされる「成仏」の未来を考慮することは一切なく、そして非業のままで終わってしまった過去に固執し続け、生者にその恨みを強く訴えようとする多くの幽霊のありようとは大きく異なるからだ。
ただ言えることがあるとすれば、「子育て幽霊」は、自分の「過去」に執着し続け、生者が隠しておきたい、自分にはないものとしたい煩悩や苦悩、憎しみや悪意などのダークサイドを濃厚に帯びた、それゆえに、生者と極めてよく似た幽霊というよりも、幼い子どもと非常に近しい存在でもある菩薩や地蔵のような神仏に近い存在に昇華している幽霊なのだ。それゆえ、決してなよなよと弱々しい「幽霊」ではない。生者に怪しまれることがなかったならば、子どもを女手ひとつで一人前に育て上げることができそうな「肝っ玉かあさん」的なたくましささえ、有しているように思われる。
■子育て幽霊の話が今でも数多く残る理由は?
童話の『むく鳥のゆめ』はもちろんのこと、「子育て幽霊」話が成立し、全国各地に広がり、地域固有の「情報」が付け加えられたり、逆に省かれたりしつつ根づき、今日に至るまで「残っている」ことは、ひとえに、母が子を思う気持ちの一途さ、美しさ、純粋さを物語るものであると同時に、母とは、たとえ死んでも、幽霊になってでも、その母性によって、子どもを育てようとする「はず」、「べき」であるという社会から期待される「母親像」が濃厚に反映していることも事実だ。そのことは、慈愛にあふれ、自らの命を投げ出すことも惜しまないという「母親像」を全うできなかった母親が、昔も多く存在していたことを暗示している。そのため、人間誰しもが持つ、弱さや至らなさを戒めるためにつくられ、ある種の模範とされ、語り伝えられてきた「幽霊」だったという考え方もできるだろう。