天下の猛妻 -秘録・総理夫人伝- 宇野宗佑・千代夫人(下) (1/2ページ)

週刊実話

 前号で宇野宗佑が千代と出会って間もなく、「本当に早く(結婚の)返事をくれなかったら君と刺し違えて死ぬ」と“迫力満点”で口説いたことを記したが、なぜ千代にそこまで惚れたのかについては、宇野自身の次のような告白がある。
 「まあ、一目惚れですナ。面食いじゃないけど、やっぱり顔がよかった。それに、着物から見える首筋かな。逢い引きでは、京都の松尾大社にも行った。昭和23年(1948年)頃は、まだ男と女が手をつないで歩く人は少なかったが、ちゃんと手をつないどる。後ろから手を回して、ちゃんと家内が私の腕を持っておった」(『宝石』平成5年6月号)

 千代は京都の茶道・裏千家の13世円能斎の実弟、広瀬拙斎の次女という名門の出である。京都府立第二高等女学校を卒業、製薬会社に就職したが、終戦の年に退職してしばらく兄の家にいた。そこに、シベリアで一緒に抑留されていたその千代の兄の京都の家に宇野が立ち寄ったのが、2人の出会いであった。挨拶に出てきたのが、千代だったのだ。宇野は神戸商大のとき学徒出陣で北朝鮮へ行き、終戦とともに捕虜になってシベリア抑留を余儀なくされていたのだった。出会って間もなく、前述のような経緯があって、たった1カ月程で結婚ということになった。ヤルことは素早い宇野である。
 しかし、新妻の千代にとっては、嫁ぎ先の宇野家というのがなかなかタイヘンであった。宇野家は近江・滋賀県で明治初期からの造り酒屋。宇野は4代目当主であった。祖父母、両親、弟や妹など合わせて16人の家族のほか、酒の仕込みの杜氏などの従業員も冬場にはドッと集団で集まることから、食事、洗濯などでテンテコ舞いの日々を送らされた。
 ちなみに、宇野は酒にめっぽう強く、「呑ませれば一升も軽い。政界でも酒豪“3本指”に入った」と、のちに衆院議員となった中曽根派の担当記者の証言がある。総理になって神楽坂の芸者を「3本指」(月の手当て30万円)で口説いて大スキャンダルとなり、その座を追われた宇野だったが、「3本指」にはどうもエンがあるようだ。

 結婚から2年目、宇野は滋賀県議選に打って出、29歳でトップ当選を飾ったが、このときも千代は長女を出産して間がなかったが、メガフォンを持って夫の選挙戦に巻き込まれた。まさに、休む間のない新妻生活であった。

「天下の猛妻 -秘録・総理夫人伝- 宇野宗佑・千代夫人(下)」のページです。デイリーニュースオンラインは、社会などの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る