“ふつう”の日本人警察官が命を落とした。1993年、カンボジアとPKOの現実 (3/7ページ)
「取材の中で衝撃を受けたことの一つは、自動小銃を現場で購入していたという話でした。これは実はあってはならないことで、文民警察は、どの国でも武器の不携帯が原則です。自分の身を守るものは防弾チョッキだけ。ところが、隊員たちが置かれていた状況を聞くと、所持しても仕方がないと思えるほどの環境だったんです。
隊員の一人で中南部のポニアレック郡に派遣されていた脇田慶和さんは、その緊張状態から同僚だったバングラデシュの警察官に100ドル支払って、勤務を代わってもらっていたそうです。しかし、その警察官が銃撃にあい、足を負傷してしまった。脇田さんはそのことを深く反省されますが、そのくらい生死が隣り合わせの環境に日本の文民警察官が派遣されていたということです」(旗手氏)
本書を読むと分かるが、時を追うにつれてカンボジアは、ゲリラ的な行動を活発化するポル・ポト派の反抗が激しくなり、再び激しい内戦状態になっていったことがうかがえる。
しかし、75人の隊員の母国・日本にはそうした治安情勢が不安定になっていく各地の情報はなかなか伝わらなかった。特に文民警察についてのニュースはほとんど報じられなかったという。
「派遣前に焦点となった自衛隊は、有事があってはたいへんということで、カンボジアでも治安のもっともいいタケオに駐屯することになりました。情勢がどんどん緊迫する中、自衛隊の任務や安全については報道されていましたが、文民警察についての報道はまったくといっていいくらいなかったのです。だから、家族の方々は本当に何が起きているのか分からなかったと思いますね」(旗手氏)
旗手氏らによる取材は、2015年11月頃からスタートした。きっかけは、この本の担当編集者から、日本文民警察隊の隊長だった山崎裕人氏を紹介されたことだった。山崎氏は、高田氏の非業の死、そして当時のことを清算できないままジレンマを抱えながら、手記や報告文書を保管していた。
「私は1979年の生まれなので、当時は中学3年生でした。