“ふつう”の日本人警察官が命を落とした。1993年、カンボジアとPKOの現実 (5/7ページ)

新刊JP

でも、振り返りたくない記憶だけど、いつかは振り返らないといけないとは感じていて、いつかしゃべらないといけないものであり、それが今のタイミングなのかもしれないというのはあったと思います」(旗手氏)

■高田隊員の死を23年間ずっと引き摺っていた

高田隊員と同じアンピル班の班長であり、本書のもう一人の「キーマン」ともいえる元神奈川県警の川野邊寛氏(事件当時・警部)は、初めて面会をしたときに「1時間、2時間では話しきれないことだ」と述べたという。

なにを話して、どこまで自分の中に閉じ込めておくべきか。口を開いて話したところで、本当のことが伝わるのだろうか? 理解してもらえるのか? いや、わかってもらえないだろう……そんな逡巡を何度も繰り返した。そうやって沈黙の時間は、降り積もり、隊員たちに「23年の時間の重み」がのしかかる。迷いを振り切って話すということは、相当な覚悟が必要だったろう。

「高田さんの事件は、1人の隊員が亡くなっただけという話ではないんです。全ての関係者が23年間ずっとそれを引き摺っています。山崎隊長、川野邊さん、ご遺族の方々、そして全ての隊員。彼らはずっとその事実を抱えて生きてきたんです」(旗手氏)

それぞれの胸の中に残り続けるカンボジアでの体験。旗手氏は取材を通して、隊員たちが背負ってしまった苦しみを知る。

「もしかしたら自分が死んでいたのかもしれない、という思いは共通して持たれています。特に川野邊さんをはじめとしたアンピル班隊員の方々は、もしかしたら、自分が死んでいれば高田さんは助かったかもしれない、あのときこうすれば、ああすれば、高田さんは死ななかったのではないかという後悔や自責の念など、他の班の方々とは少し違うものを抱えているように感じました」(旗手氏)

そして、1993年5月4日事件は起きる。
事件現場となるアンピル地区に日本人隊員は全部で9名赴任していた。うち5人はアンピル村に、残りの4人は、アンピルから国道691号線で20キロメール隔てたフォンクーという集落に配置されていた。

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