“ふつう”の日本人警察官が命を落とした。1993年、カンボジアとPKOの現実 (6/7ページ)

新刊JP

アンピルにいた高田隊員、班長の川野邉氏、八木一春氏、鈴木宣明氏、谷口栄三郎氏の5人が、警護するオランダ海兵隊の軍用車両を先頭に、インドの地雷処理チームなどと車列を組んでアンピルからフォンクーへ出発、その帰路を襲われる。

「日本隊は、車列の2番目と3番目、2台に分かれて乗車して、アンピルに戻る途中に襲撃されました。八木さんは高田隊員と同じ2番目の車両に乗っていましたし、川野邊さんは本来、高田さんの隣に座るはずでしたが、たまたまその後ろの車両に乗ることになった。そして、谷口さん、鈴木さんも含めて全員が負傷をしていますが、命は助かった。でも高田さんは亡くなった。アンピル班の方々は死がすごく近いところにあるんです。
川野邊さんは当時の光景がフラッシュバックするとおっしゃっていました。なぜ自分はあの時ああいう判断をしてしまったのか、その想いをずっと抱えていらっしゃっています」
(旗手氏)

■高田隊員を殺した「正体不明の武装勢力」とは?

カンボジア各地に散った日本人隊員たちが書いていた日記によれば、ロケット砲や迫撃砲の音、機関銃の音、照明弾の光などが記録されているほか、ゲリラによる襲撃が激しくなる中で、動揺が深まっていく様子がうかがえる。これが当時のカンボジアの現実だ。アンピル付近の襲撃事件は特別なものではなく、常に身近に「戦闘」があった。

こうした状況を、遠く離れた隊員同士で報告し合うことも難しい環境にあった。インターネットやメールといった手段がない時代、連絡手段はパラボラアンテナがついた大型の衛星電話だったが、日本人隊員が赴任した全ての場所に配置されていたわけではなかったというのだから驚きだ。

「今回取材を通して改めて警察官のすごさを実感しました。彼らの中には、もともと公安、警備畑の人たちも多く含まれていたんですね。だから、情報の取り方が上手なんです。現地についたら、まず協力者を探す。これは本には書いていませんが、市場にいた元ポル・ポト派の人間をつかまえて、定期的に日本製の栄養ドリンクを渡しながら状況を聞いていた隊員もいました。またアンピル班の川野邊さんたちはポル・ポト派のニック・ボン准将と接触していますが、そういう話はいくつか聞きました。

「“ふつう”の日本人警察官が命を落とした。1993年、カンボジアとPKOの現実」のページです。デイリーニュースオンラインは、カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る