“ふつう”の日本人警察官が命を落とした。1993年、カンボジアとPKOの現実 (4/7ページ)

新刊JP

カンボジアに派遣されていた人が亡くなられたというニュースがあったことは覚えていましたが、恥ずかしながら、どういう状況だったのか、何が起きていたのかは全く知らないままでした。
最初に山崎隊長にお会いして、報告文書を読ませていただいたのですが、表紙をめくるとすぐに『隊長失格』という文字が飛び込んできたんです。なので、なぜこの記録を公開しようと思ったのかを聞くと、自分たちの活動が歴史の中に埋もれてしまっていることに忸怩たる思いがあるとおっしゃいました。
山崎隊長は警察を退職したばかりでしたが、『ちゃんと記録を残しておかないといけない』という思いを抱いていて。また山崎さんだけでなく、75人、75通りのPKOがあるので、全国を渡り歩いて、当時参加した隊員たちのことも取材をしてくださいと言われたんです」(旗手氏)

「75人、75通りのPKO」という言葉が表しているように、カンボジアに派遣された文民警察隊は、600名が一塊で一か所に駐屯していた自衛隊とは違い、それぞれ地方に散らばって任務にあたっていた。山崎氏は首都・プノンペンにいたし、高田隊員はアンピルというタイとの国境近い村に派遣されていた。

高田殺害事件の影響があったのか、日本に帰還したのちも、隊員同士で任務にあたっていた時のことをお互い話さなかったため、それぞれが他の隊員の様子を詳しく知ることはなかった。

「最終的には22人の方にお話をうかがうことができました。ただ、まだ現職の方が3分の2くらいいらっしゃるので、なかなか難しいところがあって、オフレコなら、とお話をしてくれた人もいましたね。
取材を通して分かったことですが、皆さんのほとんどが、本当に当時のことを誰にも話していなかったんです。家族や同僚にも。

「“ふつう”の日本人警察官が命を落とした。1993年、カンボジアとPKOの現実」のページです。デイリーニュースオンラインは、カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る