【小説】国芳になる日まで 〜吉原花魁と歌川国芳の恋〜第13話 (3/5ページ)
しかし蜘蛛の巣に絡め取られた蝶のように、みつは身動きひとつ出来ず声ひとつ立てる事が出来ない。
逃げ出したい。
それなのに、ぴくりとも身体が動かない。
(あたしの身体は、国芳はんに完全に捕らえられてしまった・・・・・・)
物語の中の妖術のように、みつの身体もみつの心も、もしかするとこの部屋の空間すらも、この瞬間、歌川国芳という絵師の手中であった。
(いいえ、きっとそうじゃなくて)、
思い返せば春、この部屋で二人は交わった。
その春に別れを告げ、夏が過ぎ、秋が巡り、それでもなおこの国芳という男の事を忘れられずにいる。
(あたしの心も身体もあの春からずっと、この人に捕らえられたままだったのね)・・・・・・
なおも、静謐な時間が流れる。
国芳が視線を紙に落とし夢中で描いている間、みつはちらりと男を見た。
色の見えないみつの目には、闇が闇であるほどに男の表情の細部まで良く見えた。
もともと不思議な愛嬌のある男だが、絵を描いている時の国芳は、別段に魅力があった。伏した目には仕事に向き合う男の厳しさを湛えつつ、くちもとは常に楽しげに微笑しているように見えた。
(ずるい人)
描かれているみつの肌膚がほのかに上気している事も知らず、少年のように夢中になれる国芳が、羨ましくもあり憎らしくもあった。
そういう二人の隙間を、窓の外の松虫の音と、風がどこからか運んで来る清掻だけが埋める。
しばらくして、国芳が矢立を置いた。
「描けやした」
「もう?」
何しろ四半時もかからない、ほんのわずかな間である。
