三池炭鉱で亡くなった囚人労働者とその埋葬地にまつわる「幽霊橋」 (4/5ページ)
それはかつて、埋葬地が満杯になったため、その中に遺骸を投げ入れていたものと言われている。そのため周囲の人々は、民話のように、「幽霊が出る」と恐れていたのだ。
■炭鉱やそこで働いていた労働者、それらの存在自体が風化されていく
炭鉱マンとして働きながら、坑内の写真を取り続けていた高木尚雄は、「何十年か先には福岡県大牟田市・みやま市・熊本県荒尾市に三池炭鉱があったことは歴史の本でしか知ることはできないだろう。また、石炭とはどんな物か知っている人は少なくなるだろう。炭鉱の坑内でどうやって石炭を掘っていたか、支柱はどうやって立てていたか、採炭現場や掘進現場はどんなところであったか、選炭場とはどんな仕事をしていたか、炭鉱の社宅はどんな建物であったか」、炭坑という「場所」そのものを日本人は「忘れてしまった」と懸念している。
■囚人を埋葬した古井戸から聞こえてくる声
古井戸から聞こえてきたという「うめき声」や、橋の上で「わしはどこへ行ったらええんじゃろ」と道行く人に問いかけていた囚人たちは、現実の「幽霊」というよりも、「歴史の表舞台から、わしらを埋もれたままにしないでくれ」と、囚人が獄舎から修羅坑に毎日行き来するのを遠巻きに眺め、ひょっとしたらまだ生きていたのかも知れなかった古井戸の「うめき声」に「近寄る」ことのなかった、囚人たちと同時代を生きた土地の民に、訴えていたのである。また、囚人に会うと、「いつまでも夢でうなされる」というが、それは「無視」を続けた人々の側の「やましさ」からくる「幻」だったのかもしれない。そしてそれは今も…囚人たちは、「過去」を「見ようとしない」我々に、「民話」「幽霊話」を通して、「わしらを見ろ!」「わしらを忘れるな!」と今なお強く激しく、呼びかけているのである。