1945年「群馬人肉鍋事件」 実の母が娘を食った“本当の理由 (1/3ページ)

週刊実話

「ちょうど山から下りてきたら、“おトラさん”の家のところで警察官が土をふるいにかけているのが見えたんだよ」

 太平洋戦争の終結から2カ月後の1945(昭和20)年10月のこと。群馬県のとある村に暮らすKさん(84歳)は、山で薪拾いを終え、家へと帰る道すがら、普段は見かけない光景を目にした。何人もの警察官が“おトラさん”という17歳の少女が暮らしていた家の周りの土を掘り起こして、何かを探していたのだった。

「事件なんて滅多に起こらない村だから、何やってんのかなぁって思ったんだ。そうしたら、しばらく経って、おトラさんのことを母親のお龍さんが食べちゃったって聞いて、驚いたんだ

 事件を起こしたのは山野朝吉(52歳)の後妻の龍(32歳)だった。彼女は11歳の時に最初の結婚をし、その夫との間に娘に恵まれたが、後に折り合いが悪くなり離婚。その娘を連れ、20歳以上も年が離れた朝吉と再婚したのだった。一方の朝吉にも、前妻との間に長女、次女(トラ)、さらに双子と、4人の子どもがいた。結婚後、夫婦はさらに2人の子どもに恵まれたが、計7人の子どもたちのうち、龍と血が繋がっていない子どもたちは、トラを除いて奉公に出されていた。

 ひとつ屋根の下に朝吉夫婦、龍の長女、トラ、朝吉と龍の間にできた2人の子どもという、6人もが暮らす生活。朝吉は土地を持たない日雇い労働者で、一家の生活は傍から見ていても厳しかったという。

 一家の経済的な貧しさには、朝吉の性格的な問題も関係していた。朝吉は食い物に困らなければ、日雇いの仕事に出ない墮情なところがあった。また、これは朝吉の次女トラだけが奉公に出されなかった理由でもあるのだが、精神的な障害を抱えていた彼女は人と話すこともままならず、学校にも通えなかったようだ。

 当時の新聞報道によると、被害者の父親は「低能」であると書かれている。今ではその真相を知ることはできないが、昭和を代表する小説家・松本清張は、この事件をテーマに『肉鍋を食う女』という小説を書いていて、その中で一家のことをこう記している。《朝吉は少し低能で、怠け者であった。日雇だが、出たり出なかったりした。百姓するにも土地を持たないのである。

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