人は望んだ生き方が叶わず命を絶つ 人は望んだ生き方の為に命を賭ける (4/7ページ)
榎本の動きを知った勇次郎は、長年苦楽を共にしてきた幕府海軍の仲間たちと一緒に行動できない自らの無力を恥じ嘆き、自ら死ぬことを決意したという。
かつて少年時代の勇次郎が父親に伴い、川越藩に移り住んだ頃、槍術を習っていた。身分が低かった勇次郎は、周囲の人々と一緒に寒稽古に加わることができなかったが、勇次郎の素質を見込んだ師匠の計らいで、特別に参加できるようになった。それを妬んだある者が、友と談笑していた勇次郎の膝に、真っ赤に燃えさかっている炭を載せた。たちまち黒煙が上がり、肉がただれ始めたが、勇次郎は平然としている。それにびっくりした友が慌てて、炭を払い落とした。それからしばらくして、その男が勇次郎に、沸騰したやかんに水を足してくるよう命じた。すると勇次郎は、うっかりしたふりをして、沸騰したやかんの湯をその男の足にこぼし、大やけどを負わせた。「粗相をした」と男に謝った勇次郎だったが、「火ほど熱くはあるまい」とつぶやいたと言われている。勇次郎は負けん気が強く、「やられたら、やり返す」執念と実行力を有した人物だったことを物語るエピソードだが、そのような勇次郎にとって、自分が無力なままでいることは、どうしようもなく悔しかったことだろう。
■死にたい時 生きたい時
榎本に率いられ、北海道に向かっていた咸臨丸だが、独力で航行することができないほど老朽化していたため、回天丸に曳航されていた。そんな中、8月21日深夜に発生した台風に煽られ、咸臨丸は回天丸から曳綱を断たれた。そして乗組員もろとも、風浪に任せる他ない状況となった。幸いなことに、8月29日、咸臨丸は下田港にたどり着くことができた。そこで清水港へと出港し、損傷した船体の修理を行うことになった。しかし咸臨丸の動向は、下田から官軍側に知らされていた。徳島藩(現・徳島県、兵庫県淡路島)と柳川藩(現・福岡県柳川市)の藩兵が乗船した3隻の軍艦が、咸臨丸を求めて出航した。そしてそれらは9月18日、清水港に突入し、咸臨丸を攻撃した。この時咸臨丸には、艦長が乗船しておらず、兵も少なかった。しかも修理のために、備えられていた鉄砲は陸上に移されていた。ほとんど丸裸状態の咸臨丸の乗組員は全員、艦上で命を落とすこととなる。