短期集中連載 工藤會 野村悟総裁「獄中記」【後編】 (4/4ページ)

週刊実話

初代としては「合流の礎となれ」との思いからなのだろうが、溝下先代は新太郎親分の仇である。だが、もし私が先代に対して面従腹背の態度を取ったら、周囲に必ず知れ渡り、若い者が盃を甘く見てしまうだろう。

 盃がどれだけ重いものかを若い者に示すためにも、私は先代が亡くなるまで第一の子分として仕えたつもりである。溝下先代も、こんな私を認めてくれたからこそ、後継に指名してくれたのだと思う。工藤会と草野一家の合流の過程で、溝下先代と私は、愛憎の関係に始まり、最後は恩讐を超えた必然の絆で結ばれていたと考えている。こんな私たちの姿をしっかりと見て学んでいた田上文雄を、五代目に指名することになる。

 そして、私は同じ昭和62年の秋に、二代目田中組を継承していた木村清純親分から田中組三代目を襲名するように言われた。これについても、いろいろ思いがあったのだが、謹んでお受けしたのである。

 こうやって、少しずつ組織がまとまっていった。
〈組織の合同は、北九州の極道のことを考えれば、至極当然の成り行きですたいね。まとまらんで反目しおうとったら、衰退するばかしやないですか〉(書籍『任侠事始め』より 太田出版刊)

 溝下先代は、当時のことを作家・宮崎学先生との対談で、こう振り返っている。その通りではあるが、簡単ではなかった。溝下先代だからこそできたのである。

 平成2年には、初代工藤連合草野一家が代替わりして、二代目工藤連合草野一家(工藤玄治名誉総裁、草野高明総裁、溝下秀男総長、天野義孝総長代行、野村悟若頭)となり、平成11年には三代目工藤會(溝下秀男会長、天野義孝会長代行、野村悟理事長)に改称。翌12年、四代目工藤會を私が継承し、溝下先代は総裁職に就いた。私が総裁を務める現在の五代目工藤會(田上文雄会長、本田三秀会長代行、菊池啓吾理事長、木村博理事長代行)は、平成23年にスタートしている。

 今では工藤初代をはじめ多くの方が鬼籍に入り、私も古希を迎えた。これから、ヤクザの受難の時代がどうなっていくのか。獄中からではあるが、見守っていきたいと思っている。

(※)紫川事件=山口組系組員による銃撃の報復として、工藤組系組員らが別の山口組系組員を惨殺。地元の紫川という川に遺体を投げ込んだ。

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