豊臣秀頼は二人いたんです!秀吉が公認した「もう一人の豊臣秀頼」ってどんな武将だったの?【一】 (2/4ページ)
傀儡状態に嫌気が差した義統は、自分を傀儡にしている織田大和守こと彦五郎信友(おだやまとのかみ・ひこごろうのぶとも)を追い出すため、大和守と対立していた信長と内通。
大和守は信長の家督継承に伴う混乱に乗じて戦争を仕掛けるも返り討ちに遭い(萱津の戦い。天文二十一1552年8月16日)、一発逆転を狙った信長暗殺計画もリークされたため、信長に本拠地の清洲城を焼き討ちされてしまいます。
「おのれ!何ゆえ斯くもことごとく失敗するのじゃ?……もしや……!」
追い詰められた大和守は躍起になって犯人を捜した挙句、義統の裏切りを知って逆上。そして天文二十三1554年7月12日、ついに義統を弑逆(しいぎゃく。目上の者を殺すこと)してしまいます。
信長の支援で仇討ちを果たすものの……「何とっ、父上が!?」
義統の死を知らされたその長男・岩竜丸(がんりゅうまる)と幼君は当時狩りに出かけており、そのまま信長のいる那古野城へ逃げ込んで庇護を求めました。
「三郎(信長の通称)。