豊臣秀頼は二人いたんです!秀吉が公認した「もう一人の豊臣秀頼」ってどんな武将だったの?【二】 (4/6ページ)
そして永禄十1567年、信長が馬廻の中からより精鋭の「母衣衆(ほろしゅう)」を創設すると、27歳の長秀もそのメンバーに抜擢。長秀は比較的年少者で構成される赤母衣衆(年長者は黒母衣衆)に配属され、後に加賀百万石の大大名となる「槍の又左」こと若き日の前田又左衛門利家(まえだ またざゑもんとしいえ)らと戦歴を重ねます。
いくつもの戦場を渡り歩いた長秀には多くの武勇伝がありますが、中でも面白いエピソードがあるので、こちらに紹介したいと思います。
時は元亀元1570年9月7日、信長の軍が天満の森で一向門徒(石山本願寺)と交戦。長秀は敵将・長末新七郎(ながすえ しんしちろう)に挑みかかりました。
「いざ、勝負!」
猛然と槍を繰り出した長秀でしたが、その穂先が届くより早く、横から突き出した槍が敵将の首を貫通しました。