豊臣秀頼は二人いたんです!秀吉が公認した「もう一人の豊臣秀頼」ってどんな武将だったの?【二】 (1/6ページ)
豊臣秀頼(とよとみ ひでより)と言えば天下人・豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)の後継者として有名ですが、実はもう一人「秀吉公認の豊臣秀頼」がいたのをご存じでしょうか。
その武将は戦国時代の天文十1541年、尾張国守護・斯波義統(しば よしむね)の次男として生まれますが、14歳の時に守護代・織田大和守信友(おだ やまとのかみのぶとも)に父を殺され、織田信長(おだ のぶなが)の元へ逃げ込みます。
そして信長の家臣・毛利十郎(もうり じゅうろう)の養子となり、元服して毛利長秀(ながひで)と名乗りました。
兄・斯波義銀(よしかね)は信長の協力を得て父の仇討ちを果たし、晴れて父の跡を継いで尾張国守護となったものの、政治の実権を握っている信長が疎ましくなり、追放を企んだもののあっけなく発覚、逆に尾張国から追放されてしまったのでした。
