ふたりにとって「恋人」という存在を「試される場所」ではなく「帰れる場所」にしていくべき理由 (2/6ページ)

ハウコレ

ただ自分が自分らしく、相手のことを好きだと思っていさえすれば、相手もそれで満足をしてくれる。そういう関係性のこと。

ちなみに「帰れる」と名付けたのは、そういう関係性には、「まるで実家に帰ったような安心感」があるから、という理由がありました。「自分は自分らしくしていればいい」そんな恋は、見るからに快適そうです。



■「試される場所」は一時。「帰れる場所」は永遠さて、それぞれの定義を確認してみたところで、本題である「試される場所」ではなく「帰れる場所」にしていくべき理由について考えてみましょう。

この点について、実は先ほどの私の知人男性がかなりよい線をいってくれていました。

(俺って、彼女にとっての理想の彼氏像を埋め合わせるためだけに付き合ったわけじゃないんだけど......)こんなふうに彼は考えたのでしたよね。

私たちは基本的に「自分のため」に誰かと恋をしています。「この人が私のことを好きになってくれたから、お返しに付き合ってあげよう」みたいな動機で交際を始める人はいません。いくら相手から好かれていようと、好きになれないときはどうやっても相手のことを好きになることはできません。

「私はこの人が好き。だからこの人と付き合いたい」というお互いの気持ちが繋がったとき、ふたりは交際に至るのであって、「男→女」「女→男」のふたつの矢印の「好き」は、どちらも、結局のところ「自分のため」の気持ちなんです。

だから私たちは、「相手のために恋をする」ということができません。この男性のように、彼女から「こういう彼氏になってほしい」「私のことが好きならこうしてほしい」と思われても、それに従いたいとは思えないし、むしろ窮屈さすら感じてしまう。

たしかに、「恋人が喜ぶことがしてあげたい」という気持ちを持つこともありますが、それには大前提として「自分がそれをしてあげたい」という思いが必要で、いくら相手が喜ぶことでも、自分がしたいと思えないことはできないのです。

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