藤原竜也が悶絶した「地獄の激辛アイス」 大量ハバネロで「口の中が溶鉱炉に」 (2/3ページ)

Jタウンネット

「だからオススメじゃないって言ったでしょ!」と話す駅長に、藤原さんも笑いながら「なんなんだよ!このロケ!」と文句を口にして、出演者たちをドッと沸かせた。

駅長は、「日本一からい村、平田村を侮るとこういう事になる」と添えていた。

なぜハバネロをトッピングしたのか

なぜハバネロをトッピングしたのだろうか。

2020年1月16日、Jタウンネットの取材に応じたのは、番組にも登場していた駅長の高野哲也さんだ。17年から「ハバネロアイス」と、ハバネロを20グラムほど使用した「生き地獄カレー」を販売し、どちらも大好評だという。

だが、ハバネロはもともと平田村の特産品ではなかったという。

きっかけは東日本大震災の後。11年8月頃に、1人の農家のおばあちゃんのアイデアだった。

「ある1人のおばあちゃんが、『ハバネロは見た目が可愛らしいからこれなら風評に勝てっかもしれない』『他に競争相手がいないから売れるんじゃ』と勘違いしちゃったの。それで、大量のハバネロが出荷されて...。最初は全然売れないし、2年、3年が経っても売れなかった。パウダー状や乾燥させても売れない。どうしようかと悩んだ」

地域振興の役割を持つ道の駅ひらたは、農家が作った作物を直販所という形で設置する。売れない場合は、持ち帰ってもらうのが基本的な考え方だ。おばあちゃんが売れると思ったハバネロは、売れずに残ってしまったという。

売上が振るわなかった高野駅長は、スタッフに意見を求めたという。すると、あるスタッフがソフトクリームとハバネロの組み合わせを提案。「初級」(ハバネロパウダー、0.5グラム)、「上級」(2グラム)、「地獄級」(7グラム)という3種類のアイスを販売するに至った。この時から「日本一辛い村」というのぼりや横断幕を駅に掲げ始めたという。

「こんな形で売れるとは思わなかった。16年のハバネロの出荷量は60キロだったが、17年は172キロに。18年はソフトクリームや『生き地獄カレー』が好評で、なんと約970キロを出荷している。

「藤原竜也が悶絶した「地獄の激辛アイス」 大量ハバネロで「口の中が溶鉱炉に」」のページです。デイリーニュースオンラインは、社会などの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る