あなたが知らない「絵の具職人」の1日 8時間ずっと、同じ色を見つめ続けて... (2/6ページ)

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最初の「純国産絵の具」を作った月光荘

話を聞かせてくれたのは、月光荘画材店店主の日比康造さんと、映像に映っている職人の鈴木竜矢さん。

同店は、1917年に創業し、1940年に純国産の絵の具を初めて誕生させた画材店。創業当初は、海外から輸入した材料を練り合わせて絵の具を作っていたため、絵の具の質は届いた材料の質次第だった、と日比さん。

「絵の具の粉と、それをキャンバスや紙にくっつけるための、バインダーという糊状のものと練り合わせることで、水彩絵の具になったり、油絵の具になったり、アクリル絵の具になったりするんです。
(創業当時は)輸入した粉が劣悪であれば、劣悪な絵の具しかできなかった。それが日本の画家たちが苦しんでいたところです。
そこで、月光荘画材店は日本で最初に、粉から絵の具を作っていったんです。
一から鉱物を焼いたり、他の薬品を練り合わせたりしながら、いろんな粉を開発していって、それを見よう見まねで手ですりつぶしてみたり、ローラーにかけてみたりというのを経て、今の絵の具作りの礎を築いていきました」(日比さん)

国産の青い絵の具「コバルト・ブルー」誕生を喜ぶ画家たちの寄せ書き
国産の青い絵の具「コバルト・ブルー」誕生を喜ぶ画家たちの寄せ書き

日比さんによると、戦争で海外から絵の具や材料が輸入できなくなった時も、純国産の絵の具の開発に成功した月光荘だけは絵の具を製造することができた。

「戦争中に描かれた洋画っていうのは、ほとんど月光荘の絵の具で描かれている」

と日比さんは話す。猪熊弦一郎、梅原龍三郎、宮本三郎、藤田嗣治ら著名な画家も月光荘の絵の具を使っていたそうだ。

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