虚無僧ファッションが何故、江戸庶民に受け入れられたのか?鈴木春信の魅力 その5パート3 (3/6ページ)

Japaaan

弟の箱王丸は、父の菩提を弔うべく箱根権現社に稚児として預けられたが、箱王丸は出家を嫌い箱根を逃れ、縁者にあたる北条時政を頼った(箱王丸の叔母が時政の前妻だった)。そこで元服し“曾我五郎時致”となった。苦難の中で、曾我兄弟は父の仇討ちを決して忘れなかった。

建久4年(1193年)5月、源頼朝は、富士の裾野で盛大な巻狩を催した。巻狩には工藤祐経も参加していた。最後の夜の5月28日、曾我兄弟は祐経の寝所に押し入り仇討ちを果たすのであった。父を討たれて十七年の月日が流れていた。

夜討曽我狩場曙(部分)“曽我五郎時宗 市川団十郎”“曽我十郎祐成 中村宗十郎”画守川周重 出典都立中央図書館特別文庫室所蔵

夜討曽我狩場曙(部分)“曽我五郎時宗 市川団十郎”“曽我十郎祐成 中村宗十郎”画守川周重 出典都立中央図書館特別文庫室所蔵

兄祐成は駆けつけた武士たちに討たれ、弟時致は、源頼朝の館に押し入ったところを取り押さえられた。

翌日、時致は源頼朝の面前で仇討ちに至った心底を述べる。頼朝は助命を考えたが、祐経の遺児に請われて斬首を申し渡す。時致は騒ぐことなく静かに斬られた。

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