虚無僧ファッションが何故、江戸庶民に受け入れられたのか?鈴木春信の魅力 その5パート3 (2/6ページ)
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曾我祐成
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曾我時致
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曾我兄弟の仇討ち事件
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曾我もの
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曽我兄弟
【曾我兄弟の仇討ち】の原因となる事件のなりゆきは“曽我物語”に綴られています。
平安時代末期、平重盛に仕える武士・工藤祐経は、伊豆国伊東の武将・伊東祐親に所領争いに関わる恨みを抱いていた。安元2年(1176年)10月、祐経は郎党共に、狩りに出た伊藤祐親を暗殺させるべく待ち伏せさせた。しかし刺客の放った矢は、伊藤祐親ではなく一緒にいた嫡男の河津祐泰に当たり、祐泰は死んでしまう。
祐泰の妻とその子・一萬丸(5歳)と箱王丸(3歳)が残された。祐泰の妻は曾我祐信と再婚し、一萬丸と箱王丸は曾我の里(神奈川県小田原市付近)で育つことになる。
後に治承・寿永の乱で平家方についた伊東氏は没落し、祐親は自害した。祐親の孫である一萬丸と箱王丸(筥王丸)は厳しい生活の中で成長することになる。
一方、工藤祐経は早くに源頼朝に従って御家人となり、頼朝の寵臣となっていた。
兄の一萬丸は、元服して曽我の家督を継ぎ、“曾我十郎祐成”と名乗った。