犬や馬をパートナーとする「動物性愛者」。その「禁忌」の先にあるものとは? (5/8ページ)

新刊JP

■「ズーの問題の本質は、動物や世界との関係性についての話だ」

『聖なるズー』の第2章に出てくるザシャの言葉によって、「ジュウカン」のイメージで「ズー」を紐解いていた人は面を食らうだろう。

「ズーと自覚している人のなかには動物とのセックスは未体験の人がとても多いんだよ」
「動物は僕にとってパーソンだ」
「ズーの問題の本質は、動物や世界との関係性についての話だ」

実はミヒャエルも、キャシーとはセックスをしたことがない(最初のパートナーとはあるそうだが)。その理由は「彼女が求めないからだよ」。キャシーは大事なパートナーであり、彼女が求めないことはしない。セックスは「自然に」始まればすると言うのだ。濱野さんはこの「自然に」という言葉の意味についてミヒャエルに問い質す。

「あなたがセックスをしたくなったとき、そう都合よくオス犬もしたくなるものなの?」
「違う。犬が誘ってくるんだよ。犬が求めてくるんだ」

ゼータに参加する人たちは一貫して動物ファーストである。濱野さんは彼らの言葉をどのように捉えたのか。

 ◇

――このザシャが興味深いことを言います。「ズーの問題の本質は、動物や世界との関係性についての話だ」と。私はこの本を「動物性愛=動物とのセックス」というテーマを前提に読み始めたんですが、セックスを中心に置くと解釈できないなとここで気づきました。そこで、これは動物とのセックスではなく、パートナーシップという観点から解釈を試みたら、最後まで読み進められたんです。

濱野:そのように読んでいただけてとても嬉しいです。私も、ズーとパートナーのセックスという行為そのものを観察しようとは一回も思いませんでした。私は交尾の研究をしているのではありません。

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