犬や馬をパートナーとする「動物性愛者」。その「禁忌」の先にあるものとは? (7/8ページ)

新刊JP

つまり、他者に干渉せざるを得ない。その干渉にはいろんな方法や側面がある。また、一方で、人間社会では、性器と性器の結合それ自体に多くの意味が付与されすぎているという面もあると思います。そういったことを詳しく見ていくと紐解けることが多いし、考えるべきことは膨大にあると思います。ここにセクシュアリティ研究の面白さというのがあるように感じます。

■動物が「誘ってくる」――それは人間側の思い込みでは?

ミヒャエルやザシャとの出会いを経た『聖なるズー』の第3章では、「動物からの誘い」とは何かを追究する。様々なズーたちからその話を聞き、確かにそういうものがあるのかもしれないとも濱野さんは考え始める。しかし、そこで漏らしている、ズーたちの意見に「釈然としない気分を抱えていた」という言葉は、嘘偽りない気持ちだろう。

人間が勝手に犬たちが「誘っている」と思い込んでいるのでは?
それは人間側の都合の良い解釈では?

しかし、ズーたちは口を揃えて、「誘い」があるのだと言う。
そんな中、濱野さんはドイツではなく日本で出会った青年から、犬とセックスをしたと打ち明けられる。「どうしてラッキー(犬の名前)は犬なんだろう」と彼はいい、セックスに至った経緯を詳細に語る。そこにはまさにドイツでゼータの人たちの話と共通するものがあったのだ。

ズー・ゲイとズー・レズビアン。パッシブ・パートとアクティブ・パート。性器にペニスを挿入するズー、しないズー。それは「ズー」同士でも議論になることがあるという。そして、受け身のパッシブ・パートは、その逆のアクティブ・パートに対して「本当に動物を大切に扱うことだといえないと思う」と問い詰めることもある。

濱野さんはそうしたやりとりを見聞きし、パッシブ・パートたちの言葉から「人間と動物の間に従来あると思われている支配と被支配の関係から、セックスのときには脱する」という考えがあることを読み取る。そして、それは「支配者側の立場を降りる喜び」だとつづる。

これは一方で、ペニスの挿入を避けることで、暴力性を回避しているのではないかと考えることもできる。だが、濱野さんはこうも指摘する。「性暴力の本質がペニスそのものにあるわけがない」と。

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