犬や馬をパートナーとする「動物性愛者」。その「禁忌」の先にあるものとは? (3/8ページ)
――オンライン・コミュニティという側面が強いとなると、Face to Faceの関係を持たずに匿名で参加している「ズー」もいるのでは?
濱野:いますね。先ほど話した、パートナーの動物が死んでしまって抜けたズーは、ドイツではない国からゼータのチャットに参加していました。1年に1回は全体集会を開催するようにはしているけれど、開催されない年もあるみたいなので、「その人の名前は聞いたことがあるけれど、会ったことはない」という言葉がメンバーから聞かれることもあります。
■犬をパートナーにするミヒャエル、ネズミの群れと一緒に暮らすザシャ濱野さんが動物性愛を研究のテーマに据えたのは、自身の性的暴力の経験が原点となっている。その経緯は本書のプロローグで「私には愛がわからない」「私にはセックスがわからない」と述べたうえで、赤裸々につづっている。
「愛もセックスも軽蔑」していたという濱野さんは、愛とセックスの絡み合いを学術的に捉え直そうと試みる。つまり、セクシュアリティ研究に踏み入れたのである。ただ、自分自身の問題とは距離を置きたい――そう考えていたときに、当時の指導教員から提案されたのが「ジュウカン」(獣姦)、つまり「人間と動物のセックス」だった。
でも、そのリサーチで濱野さんが見つけた「人間と動物のセックスの形」は、従来の「獣姦」という言葉のイメージとは異なるものと捉えるべきだろう。では、それをどう呼ぶか。「zoophilia」=「動物性愛」だ。この「動物性愛」とは一体何なのか?
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――『聖なるズー』の第2章で、濱野さんは動物の「パーソナリティ」という概念をミヒャエルたちを通して考えていきます。ミヒャエルは動物にしか性的欲望を抱かず、キャシーというメス犬のパートナーがいますが、彼女の個性や性格をよく把握していて、「動物にもパーソナリティがある」と言うわけですね。この「パーソナリティ」は非常に重要な発見だと思いますが、それが一体何なのか、現時点での濱野さんの解釈を教えてください。