「無駄な時間が9割」。でも、その時間が開高健ノンフィクション賞受賞作を生んだ (2/9ページ)
でも、人によればズーと寝泊まりすることまではしなかったかもしれません。インタビューを中心とした調査もひとつの方法になるはずです。特にズーという人々は村を作っているわけではないですし。セクシュアリティ研究という特性上、彼らの家に寝泊まりまでしなくても、論文自体は書けたのかもしれないと思います。
――濱野さんは果敢にその中に飛び込んでいきました。
濱野:そうなんですよ(笑)。実際には、彼らのところに寝泊まりして本当によかったです。インタビューだけでは気づき得ない、さまざまな些細なことを彼らの日常を通して観察できたので。幸い、私が出会ったズーたちはすごく良い人たちで、そこには救われました。
ところで、誰かと何日も一緒にいる場合、自分が研究者であるという役割に固執していたら、壁にぶつかる時があると思います。
たとえばこの中にエドヴァルドという男性が出てくるんですけど、ズーのエドヴァルドではなく、一人の人間としてのエドヴァルドとして話をしました。彼にとっての私も同様でした。彼は、研究者としての私ではなく、一人の人間としての私と話してくれます。だから、2人で森の中を歩きながら語り合っていたとき、ものすごく重い話を打ち明けられたりもしました。
―それはズーの話とは関係なく。
濱野:まったく関係ないです。エドヴァルドが誰にも打ち明けられなかった話を聞いて、本当にかける言葉も見つからないくらいで。このとき、私は一人の人間としてエドヴァルドと向き合っていて、日々抱えている重さみたいなものを分けてもらっていると感じました。
これはすごく誇らしいことですし、嬉しいことなのですが、研究者やノンフィクションライターとしての嬉しさではないんですよ(笑)。ひとりの人間としての嬉しさ。エドヴァルドにとっては、私の「研究者」とか「物書き」といった役割や肩書きは関係ないんだと、そのとき、とても強く思いました。
――リサーチに来たとは言っているけれど、それを越えて良き友人のような存在になっているわけですね。