歴代総理の胆力「佐藤栄作」(4)孤独な総理のトランプ占い (1/2ページ)
佐藤退陣後、熾烈な総裁選を経、田中角栄が福田赳夫を破って後継の政権となった。
総理の重責から解放された佐藤は、妻・寛子のさしがね、服飾デザイナーの森英恵のアドバイスもあって、当時、流行の長髪にイメージ・チェンジをするなど、政権時とは打って変わった“自由人”となっていた。
一方で写経にも熱心で、災害などで犠牲者が多く出たときの供養なども含め、奈良・薬師寺に納めた分だけで約300巻に達していたのだった。
その佐藤が倒れたのは、ノーベル平和賞を受賞して約半年の政権の座を降りてわずか3年足らずであった。昭和50(1975)年5月19日、場所は東京・築地の料亭「新喜楽」。政財界人が、佐藤を囲んで懇談する「長栄会」の場であった。当時の出席者の一人によれば、倒れたときの様子は次のようであった。
「佐藤さんのそばに(当時、三木武夫内閣副総理兼経企庁長官の)福田赳夫さんがいてね。佐藤さんは、福田さんに、こう言っていた。『君、核防条約は頼むよ。なにしろ、オレはノーベル平和賞だからね』と冗談めかしに言ったあと、トイレに立とうとした。その瞬間、ひっくり返った。何度か一人で立ちあがろうとしていたが‥‥」
結局、脳内出血による意識不明がそれから16日間続いたあと、6月3日に臨終を迎えた。
筆者は、佐藤が亡くなって5、6年経った頃、寛子夫人に佐藤の知られざる横顔をと、インタビューした思い出がある。夫人は政権時の夫妻揃っての訪米でミニ・スカートを着用して話題を呼ぶなど、ザックバランにしててきぱきした性格の人であった。
「病院にいた16日間は『このへんで死んだら、寛子もあきらめてくれるだろう』との、栄作の精一杯の演技じゃなかったかと思っています。倒れてすぐ死んだら、私は間違いなく気がふれたと思っていましたから。栄作の素顔ですか。“黙々栄作”らしく、家庭では私に気をかけてくれる言葉など一つとしてなく、まぁつまらん男でしたよ(笑)。人さまにはとても面倒見のいい涙もろい人情家でしたが。
総理在任中、常々、言っていたのは、『やはり、沖縄が返るまでは(首相を)辞めることはできない』ということでした。総理というのは本当に孤独、公邸の一室で、一人よくトランプ占いをやっていたのを目撃しています。