武士道のバイブル『葉隠』が説く、恋愛にも通じる「究極の忠義」とは? (4/5ページ)
※もしもここで少しでも弁明すれば、諫言を聞き入れない「主君が暗愚である」と示してしまう事になります。
そこで多くの武士が「事なかれ主義のイエスマン」に堕してしまうのですが、それでも私(私情、私欲、私益)を殺して公益を追求する諫言こそが究極の忠義であり、奉公の真髄であると『葉隠』は訴えているのです。
「恋死なん のちの煙に それと知れ……」恋愛にも通じる至純の忠義日ごろ一生懸命に働き、戦場で武功を求めるのは、主君のためであると共に「自分のため、一族のため」という私欲も内在しています。
それも悪くはありませんが、あくまで公益ひいては主君のためになるなら、時として主君の耳に痛いことも諫言し、聞き容れられなければ、どんな処分も甘んじて受けよう……そんな自分の立場や利益を度外視する姿は、ある意味で恋愛にも通じます。