田中角栄「怒涛の戦後史」(21)元防衛大臣・田中直紀(下) (2/3ページ)

週刊実話



 田中は、この三条件のすべてを受け入れると回答、その直後に、式場の別室で直紀と会って本人の了承を取り付け、ここに事実上の「田中直紀」が誕生したのであった。そして、田中は前述したように、それとなく三条件を公表しながら、ついには号泣、絶句の中で披露宴での挨拶を行ったということだった。

★「田中王国」再興遠し

 しかし、結婚から10年以上が経った頃、また田中と田中直紀・真紀子夫妻がぶつかることになった。日本鋼管勤めの直紀が「父親の跡を継ぎたい」と言い出し、当初は夫の政治への参画をよしとしなかった真紀子も、夫の意向を受け入れたのである。時に“婦唱夫随”などと言われた夫妻だったが、ここでは夫唱婦随を見せつけたということだった。

 田中が「田中家としてのワシの後継者は雄一郎だ」と直紀の出馬に反対すると、真紀子は「それなら私は孫を連れて福島に行きます」と、まったく噛み合わずであった。

 ここで田中の言う「雄一郎」とは、直紀・真紀子夫妻の長男で、のちに慶應義塾大学経済学部を卒業して公認会計士となった、田中にとっては目に入れても痛くない孫である。ちなみに、雄一郎は現在も公認会計士として活躍しており、田中が生前に熱望した政界入りの線は、なくなっているとされている。

 こうした経緯の中、田中直紀は昭和58年の衆院選に、父親の地元である旧〈福島3区〉から出馬、初当選を飾った。直紀はその後、衆院3期目を目指したところで落選、平成10年の参院選で〈新潟選挙区〉から出馬して当選、その後、農水副大臣、安倍晋三内閣で防衛大臣のポストを踏んでいる。

 一方の真紀子も、平成5年、倒れた父の地盤だった衆院の旧〈新潟3区〉から出馬、圧倒的人気でトップ当選を果たした。その後、小泉純一郎内閣で外務大臣に抜擢され、「真紀子旋風」を巻き起こしたが、外務官僚との意思の疎通を欠いたことから、その座を追われた形になっている。

 直紀と真紀子は、ともに議員バッジをはずし、一度は踏み出した新潟での夫婦による「田中王国」再興への夢は、現在、断たれた格好になっている。

 直紀・真紀子夫妻が衆参両院で議員として活躍中の頃を振り返り、田中家をよく知る記者のこんな声が残っている。
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