江戸時代にも活躍していた!武田信玄の軍師・山本勘助の伝説を受け継いだ子孫たち【中】 (3/5ページ)
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炎上する大阪城、豊臣家の滅亡。西洋人のスケッチなので、描写が興味深い。Wikipediaより。
そうこうしている内に元和元1615年を迎え、豊臣家を滅ぼした徳川幕府によって「元和偃武(げんなえんぶ。武をふせる≒戦乱の世の終わり)」が宣言されてからは仕官もいっそう厳しくなり、気づけば二十年以上の歳月が流れていました。
「兄上、ご先祖様がた……申し訳ございませぬ……」
すっかり意気消沈してしまった三郎右衛門は、重病を患ったか、あるいは世の儚んだのか、いつしか出家して英琢(ゑいたく)と称していましたが、ここでは便宜上「三郎右衛門」で統一します。
「勘助ファン」な水戸藩主からオファーが来るも……?そんな失意の三郎右衛門に、思わぬ朗報が舞い込みます。
時の水戸藩主・徳川頼房(とくがわ よりふさ。家康の11男)が大の軍学フリークで、当時流行していた『甲陽軍鑑』に登場・活躍している初代・山本菅助(勘助)の大ファン。