江戸時代にも活躍していた!武田信玄の軍師・山本勘助の伝説を受け継いだ子孫たち【中】 (4/5ページ)
そこで、菅助の子孫がいるなら是非とも召し抱えたい、と言うのです。
![](https://image.dailynewsonline.jp/media/5/3/53362996d7d7cb71045f80cdb4fcbe1b183d5e92_w=666_hs=1ee9e262bd9f03baabae035d0817ed3c.png)
軍学フリークだった水戸藩主・徳川頼房の肖像。Wikipediaより。
「キタ―――(°∀°)―――!」
もし当時にアスキーアートの概念があれば、絶対にそう口走っていた事でしょう。善は急げ、欣喜雀躍として水戸藩にアポイントを取った三郎右衛門は、コレはもう絶対イケるに決まっている!と、wktk(※)しながら採用通知を待っていたのですが……。
(※)ワクテカ。楽しみで胸がワクワク、肌もテカテカ(血色がよい様子)させて(待って)いる様子。
「……あれ?」
いつまで経っても通知が来ないので、痺れを切らした三郎右衛門が水戸藩に問い合わせたところ、ウンともスンとも言いません。採否はもちろん理由すら教えて貰えず、いつしか仕官の話は沙汰止み(うやむや)になってしまいました。
「一体、どういう事なんだ!」
……と言うのも、実は同じころ、軍学フリークな頼房の元へ、上杉謙信の軍師(山本菅助のライバル)として活躍した宇佐美駿河守定行(うさみ するがのかみさだゆき。