江戸時代にも活躍していた!武田信玄の軍師・山本勘助の伝説を受け継いだ子孫たち【中】 (5/5ページ)

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定満)の孫と自称する宇佐美造酒助勝興(みきのすけ かつおき)という人物が仕官を求めて来ていました。

 上杉の謀将にして初代勘助のライバル・宇佐美駿河守。勝興はその孫と称するが……? 月岡芳年「美談武者八景 西条山の夕照」

「おぉ!山本菅助と宇佐美定行、武田と上杉の名軍師の孫が同時に仕官を求めて来るとは何という奇遇!これは実に運がよいぞ!」

などと、最初は大喜びでウェルカムしていた頼房でしたが、勝興の身辺調査をさせたところ、履歴詐称(定行と血縁関係になかった事実)が発覚。勝興の仕官が取り消されたのはもちろん、三郎右衛門も怪しいんじゃないの……?と疑われてしまったようで、とんだとばっちりと言えるでしょう。

【続く】

※参考文献:
海老沼真治編『山本菅助の実像を探る』戎光祥出版、2013年
丸島和洋編『武田氏家臣団人名辞典』東京堂出版、2015年
笹本正治『軍師山本勘助―語られた英雄像』新人物往来社、2007年
山梨県立博物館編『実在した山本菅助』山梨県立博物館、2010年

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