皿と命のどっちが大事だ!天下の御意見番・大久保彦左衛門に意見した一心太助 (6/6ページ)

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そんな歴戦の勇者が、たかが皿っくれぇで女ぁ斬り捨てたら、恥ずかしいたぁ思わねぇかい?」

「……うぅむ……」

「1枚割れたと思うから惜しむ気持ちが湧くと思って、おいらぁ残り7枚も割ったのさ。皿なんて端(はな)っからなかったモンと思って、お仲を許してやってくれよ。なぁ?」

聞いていた家来たちも太助の言い分にすっかり賛同しているようだし、ここで許さぬとも言い難い……結局、彦左衛門はお仲と太助を許してやったのでした。

エピローグ

その後、太助はお仲と結婚し、彼女の実家である魚屋を継ぐことになります。ところで一心太助の「一心」とは、腕にキャッチフレーズ「一心如鏡 一心白道(※)」の刺青を彫っていたことが由来です。

(※)鏡の如き一心で、白道(びゃくどう。極楽浄土への道)を目指してまっとうに生きる、真っ直ぐな心意気を意味する言葉。

ちなみに、一心太助のモデルとして小田原(現:神奈川県小田原市)の魚問屋・鮑屋(あわびや)の主人が挙げられているそうです。

葛飾北斎「小田原町(築地)」。魚河岸の喧騒に、粋で鯔背な太助の姿(イメージ)。

小田原は彦左衛門の兄・大久保忠世(ただよ)父子の所領として大久保家に縁が深く、また江戸の築地は別名「小田原町」とも呼ばれたほど移住者が多かったことも、魚屋の太助と彦左衛門を結びつける物語を生み出したのかも知れません。

粋(いき)で鯔背(いなせ)な棒手振(ぼてふり)姿、喧嘩っ早いが情には篤い……そんな江戸っ子の代表として、一心太助は今も愛され続けています。

※参考文献:
夕陽亭馬齢 編『大久保武蔵鐙四 松前屋五郎兵衞之記』夕陽亭文庫

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