死ぬまで秘めた恋心……一番槍を果たしながら「賤ケ岳の七本槍」から洩れてしまった名将・石川一光【下】 (1/6ページ)

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死ぬまで秘めた恋心……一番槍を果たしながら「賤ケ岳の七本槍」から洩れてしまった名将・石川一光【下】

前回のあらすじ 一緒に手柄を立てたのに(涙)豊臣秀吉の側近「賤ケ岳の七本槍」から洩れてしまった名将たち【上】

時は天正十一1583年4月、織田信長(おだ のぶなが)亡き後、後継者の座をめぐって柴田勝家(しばた かついえ)と羽柴秀吉(はしば ひでよし)が争った賤ケ岳(しずがたけ。現:滋賀県長浜市)の合戦。

この戦いで特に活躍したとされる秀吉子飼いの若武者たち「賤ケ岳の七本槍」ですが、武功を上げたのは彼らだけではなく、その中には文弱の徒というイメージが強い石田三成(いしだ みつなり)など意外なメンバーも登場します。

今回はそんな一人・石川一光(いしかわ かずみつ)のエピソードを紹介したいと思います。

「我が後影を見よかし!」出陣前夜、福島正則に啖呵を切る

石川一光は美濃国の住人・石川光重(みつしげ)の子として生まれ、通称は兵助(へいすけ)。元服して貞友(さだとも)と称し、後に一光と改名します。

秀吉の譜代衆として、長兄の石川光元(みつもと)、次兄の石川貞清(さだきよ)そして末弟の石川一宗(かずむね。

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