専門家が「桶狭間」「本能寺」を徹底解説!何度も裏切られた信長の“人物像” (2/4ページ)

Asagei Biz

しいて言えば、天候が崩れたことと、信長の行動力が尋常じゃなかったことが敗因で、義元にしたら、なんで負けたのか意味がわからない状態だった、と思われます」

 れきしクンら歴史好き芸人で結成したユニット「ロクモンジャー」のメンバーで、信長ファンの桐畑トール氏も、

「僕なんか『信長の野望』などの戦国ゲームをよくやりますけど、なかなか桶狭間の戦いは成功しません。(戦力的に)織田家は今川にすぐに潰されますからね」

 それほど、番狂わせの戦いだったのだ。

 桶狭間の戦い、河越夜戦(かわごえよいくさ)と並んで、戦国の日本三大奇襲の一つ「厳島(いつくしま)の戦い」も、多勢に無勢をひっくり返した合戦だが、綿密に計算された諜報戦、頭脳戦に敗れたと河合氏は言う。もともと主君の大内氏を倒して中国地方の制覇をもくろんでいた陶晴賢(すえはるかた)は2万の大軍を擁しながら、わずか4000の毛利元就軍に、大軍を展開しにくい厳島までおびき出されて敗北してしまったのだ。桐畑氏が続ける。

「毛利元就は、自分の配下の武将を敵に寝返らせたように見せ、スパイとして送り込んでウソの情報を流したりしてますね。ウソと言えば、僕なんかも伊集院光さんの草野球チームに入ってて、バッターボックスに立って、自分の得意な球がズバーンときて見送った時。相手チームの若いキャッチャーには『うーん、あそこに投げられたらキビシイなあ』なんてわざとウソを言うと、次にまた決め球をそこに投げてくるから、こっちはそれを狙い打ちにする老獪な野球をやってます(笑)。陶晴賢は、そんなウソに『やられた』と思ったに違いありません」

 桶狭間に勝った信長は、その後、京に上り天下統一を目前にしながら、家臣の明智光秀に裏切られる。みずから本能寺に火を放って燃え盛る炎の中で「是非に及ばず」と言い放ち、自刃(本能寺の変)。これもまた、信長の油断が引き起こした事件だった。河合氏は言う。

「信長にしてみれば、京都は自分の庭にいる感覚で、まさか殺されるようなことになるとは思っていない。わずか150人の手勢を置くだけで本能寺に宿泊していたわけです。

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