力道山、アントニオ猪木、ファイティング原田…格闘技レジェンド「魂の名言」 (2/5ページ)

日刊大衆

新日本プロレスを立ち上げ、ボクシング世界ヘビー級王者のモハメド・アリとの対決を控えた猪木(当時33歳)が登場したのは、76年6月24日号。“世紀の一戦”のため、本誌の取材前に渡米し、アリにギャラを前払いしたという。「それだけ向こうの契約が厳しいんだ。手付じゃなくて前金ですよ。全額です」

 金額は、なんと600万ドル(18億3000万円)。猪木が「みんなが一番不思議に思ったのは、なぜアリがこの試合を承認したかちゅうことだったんだけど、まずはお金」と話すのも、うなずけるところだ。また、アリが日本人を侮蔑する発言をしたことで、闘魂はさらに熱く燃え上がっていた。「“ジャップ”って言葉は、人間じゃないみたいな表現の仕方なんですね。(中略)日本国民を馬鹿にするなら、オレは、それだけの覚悟で腕でもなんでもへし折ってしまう! そこまでやらなきゃおさまらん」

 猪木が率いた新日本プロレスでは、80年代半ばに離脱者が続出。長州力ら多数のレスラーが全日本プロレスに事実上の移籍をした。

 86年1月20日号で全日本の総帥・ジャイアント馬場(当時47歳)は、そうした状況をクールに語った。「向こうが勝手に分裂して、長州や(ラッシャー)木村たちがこっちに来た。流れがオレのほうに向いてきたということで、こっちが動いたわけじゃない」

 この年、寅年で年男の馬場は、自身の“守り神”についても語っている。

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