源頼朝の遺志を受け継ぎ武士の世を実現「鎌倉殿の13人」北条義時の生涯を追う【八】 (4/7ページ)
「そんな事を言ったって、蒲の兄者(蒲冠者=範頼の別名)の窮地を打破できたのは、この九郎の働きがあったからでしょう!?」
派手なスタンドプレーで手柄を立て、頼朝に喜んで欲しかった義経だが……『源平合戦図屏風 一ノ谷』より。
では、最初から義経だけで平家をことごとく討ち滅ぼせたかと言えば甚だ疑問であり、やはり御家人みんなの連携プレーによって初めて勝利を勝ち取れたのです。
それを説き、義経を諫めた梶原平三郎景時(かじわら へいざぶろうかげとき)はまるで悪役のように言われがちですが、それはみんなの本音であり、頼朝の弟であるが故に忖度して言えないからこそ、景時が嫌われ役を引き受けていたのでした。
「よいですか。我らの勝利は佐殿の勝利であり、我らみんなの勝利であって、誰が手柄を立てたのどうのという小我(視野の狭い、小さなこだわり)にとらわれ過ぎてはなりませんぞ」
もし、義経にこうした苦言を聞き容れる度量があれば、その運命もまた違っていたかも知れません。
そんなやりとりを目の当たりにして、また頼朝の傍近くに仕えていた義時は、頼朝が何を好んで何を嫌い、また武士という生き物がどのように動くのか、動かせるのかといった、ある種の帝王学(大将学とでも言うのでしょうか)を身に着けていった事でしょう。