源頼朝の遺志を受け継ぎ武士の世を実現「鎌倉殿の13人」北条義時の生涯を追う【八】 (2/7ページ)
しかし、まだ結婚はしておらず、母親の阿波局(あわのつぼね)はその出自も不明となっています。
(※史料を見る限り、阿波局と明記された女性は父・時政の娘つまり義時の異母妹と、佐々木高綱の孫娘がいますが、前者だと近親相姦になってしまいますし、後者はまだ生まれていないため、また別の「阿波局」がいたのでしょう)
要するに庶子(私生児)ですが、それでも我が子の可愛さに、嫡子と何の違いもありません。
「おぅ、よしよし……金剛(こんごう。泰時の幼名)よ、父は必ず手柄を立てて、鎌倉一の御家人になるからな」
そんな義時の願いが通じたのか、元暦二1185年に源範頼(みなもとの のりより。頼朝の異母弟)の軍勢に加えてもらい、都落ちした平家を追う九州上陸作戦(蘆屋浦の合戦。2月1日)に臨みます。
いっときは兵糧の不足に苦しんだものの、四国戦線で奮闘していた源九郎義経(くろうよしつね)らとの連携もあって勝利を収めました。
そして運命の3月24日。