源頼朝の遺志を受け継ぎ武士の世を実現「鎌倉殿の13人」北条義時の生涯を追う【八】 (3/7ページ)
後世に伝わる「壇ノ浦の合戦」では、範頼と共に陸地を押さえて平家の軍勢を海上に締め出します。それを義経らの率いる船団が討ち滅ぼし、ここに治承四1180年から始まった「源平合戦(治承・寿永の乱)」に終止符が打たれたのでした。
功に驕る義経、周囲との確執を深めるこうして見ると非常にあっけなく、また義経の華々しい活躍に比べて非常に地味な印象ですが、義経の奇襲は平家の本隊を範頼たちが釘付けにしていたからこそ成功した側面も強く、義経一人の功績とするのは、いささか判官贔屓に過ぎるようです。
軍記物語『平家物語』などでは範頼たちはロクに戦いもせず、兵糧不足にも関わらず陣中で酒宴三昧だったかのように描かれていますが、それは義経を引き立てるための脚色である可能性があります。
しかし、義経は実際に「平家を滅ぼした第一の功名は自分にある」と考えており、その言動が周囲の御家人たちから疎まれ、頼朝も頭を悩ませていました。
「あやつは目の前の敵を倒すことこそ長けておるが、全体を見据えた戦略というものを知らぬ……」
義経としてみれば「もっともっと手柄を立てて、兄上に喜んで欲しい!」という純粋な思いから出た振る舞いだったのかも知れませんが、頼朝は個人的なスタンドプレーよりも、団結や協調性を重視していました。